初代・清村金豊(きんぽう)は、幼少の頃から浅草本所で人形師の修行を積んでおり、明治40年、今から約97年前に独立。そして大正初期、その技を名古屋に伝承するために来名。人形師としてそのまま居を構えました。
明治時代の人形の世界は、江戸時代の技を発展させ、さらに日清日露戦争の勝利など右肩上がりの風潮も相まってまさに絶頂期。ことに浅草は江戸時代から人形ゆかりの地で、現在の浅草橋一丁目が茅町(かやちょう)と呼ばれる昔から、三月、五月の節句の市が立って賑わったといいます。「茅町で鎬(しのぎ)を削る節句前かな」など、人形商戦をよんだ古川柳も残るほどでした。
そんな人形づくりの最高潮の、しかも中心であった浅草の技を継承し、ひたすら守り続けているのが「好洋」です。
「好洋」という屋号を掲げたのは、2代目清村好洋。そして現在、3代目清村好英が受け継いでいます。
好英「うちの仕事を見た人がタイムカプセルから出てきたようといいました。初代が一人で名古屋へやってきて、分業化・合理化が進む東京のやり方に染まらないまま現在に至ったので、今もって明治時代の技が生きているのです」。木彫から、塗り、髪付け、小物まで、ここぞという制作には昔ながらの技で行える自信と実績があるのです。
好英「人形は単なる玩びものではなく、日本の文化です。私どもには、この文化を伝えていくというこだわりがあり、本当に良い人形には技が詰まっています」。
さらにさらに良きものを。そんなこだわり心を大切に、いつまでも飽きない、色褪せない本物を皆様にお届けしている“老舗・好洋”です。